幸福駅の歴史

 

1897年に福井県からの集団入植が行われる前の幸福町周辺は、アイヌ民族により「サツナイ」と呼ばれる地域でした。尚、サツナイとは「乾いた川」を意味し、近隣を流れる札内川を指します。

 

入植者は、この「サツナイ」に「幸震」という漢字を充てたようです。「ナイ」が「震」になった理由は、古語で地震のことが「なゐ」と言われていたことに由来します。

その後、福井県からの入植者が多いことから、この地域の集落名を「福井」の一字を充当して「幸福」と名付け、現在の「幸福町」に至ります。

鉄道駅としての歴史は浅く、1956年(昭和31年)8月、現在の幸福駅に仮乗降場が設置され、3カ月後の11月1日に駅として運営を開始しました。

しかし、広尾線自体が赤字路線であり、度重なる廃線論議の末、とうとう1987年(昭和62年)2月2日をもって広尾線が廃線。幸福駅の鉄道駅としての活動は、約21年足らずで終止符を打ちました。

鉄道駅としての寿命は短かいものでしたが、存続を求める声が多かったため、観光ポイントとして新たに再整備され、人々へ幸福をおすそ分けする『観光駅』として再出発しました。